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北港マリーナの歴史
History

大阪北港マリーナの歴史

Be Born Again

大阪北港マリーナ(元大阪北港ヨットハーバー)は2014年4月に大阪市の方針により、大阪市営のヨットハーバーから民間運営となり、新しいコンセプトをうちだした海際のレジャー施設として生まれ変わりました。

大阪北港マリーナは、1987年(昭和62年)に大阪市営の大阪北港ヨットハーバーとして完成し、その完成と大阪港開港120周年を記念して、姉妹都市であるメルボルン市をスタート地点とする太平洋縦断ヨットレース「メルボルン/大阪ダブルハンドヨットレース」開催(以後4年おきに開催)とともに開業いたしました。 その後、ディンギー、セイリングクルーザーの大阪市内唯一の拠点として発展し、大阪市でのセイリング競技の普及振興に貢献しました。 また、夕陽の名所として知られ、ハーバー内のレストラン『ヘミングウェイ』は、関西地区では有名な飲食店の一つとして認知され、たくさんの人が訪れる関西地区でも有数のヨットハーバーとして運営されていました。  しかし、バブル経済崩壊後、来場者の減数、大阪市の運営方針の転換等、大きな荒波にもまれ、人であふれていた『ヘミングウェイ』も閉店し、セイリングクルーザーも契約者が半減し、大阪駅から車で20分の場所に位置するにもかかわらず、さびれた公共施設となってしまっていたのです。  そこで、この広大な敷地と日本国内でも例のない広大なセイリングゾーンを有効活用することにより再生するべく2014年4月よりbiid株式会社が運営しております。
それにより、
 ・ヨットハーバー条例の廃止によるヨット以外の艇の乗り入れを開放 (モーターボートが乗り入れできるようになりました。)
 ・釣り船、ウェイクボード、その他マリンスポーツ事業者の誘致
 ・旧施設を有効活用した宿泊施設の営業開始
 ・カフェ、レストランの再生・活用
 ・イベント等の誘致
など、来場者数を飛躍的に増加させ、かつての人であふれるマリーナを再び蘇らせることに成功しております。

公共が『管理』する施設から、民間が『営業』する施設への転換という日本国内でも例のないこの歴史をもつ大阪北港マリーナは、国内のみならず海外からの観光客も一度は行ってみたい集客施設を目指し、都市型マリーナとして新たな歴史を作ってまいります。